この記事は2020年4月11日にnoteで書いた記事です。
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「将来の自分に頑張ってもらう。」という決意のもと不登校を決めた次男が、小学校を卒業した。
あまりにも胸がいっぱい過ぎて、記事としてあげるまでに時間が必要だった。
卒業式の前日に、次男と私の歩んできた軌跡を書きなぐった。
これを読んでから、この先を読んで欲しい。
お気楽に卒業証書を貰いに行ったら衝撃の展開に
次男は人のいる環境、特に人に見られてる可能性のある環境が苦手なため、卒業式は出ないことにしていた。
しかし、卒業証書を校長から渡したいと学校からの意向により、緊張する校長室ではなく体育館で卒業証書を貰う予定だった。
次男は一応ちゃんとしたものを着た方がいいのかなと、長男お下がりのスーツを着させた。ネクタイで首を絞められるため着た瞬間から不機嫌である。
私と旦那は、さすがにスーツ等来てもねぇ…と話しながらも、ジャケット羽織る程度の恰好にし、コロナで休みの長男に至っては、制服着たくない!と拒否するため普段着で小学校へ。
片付けの迷惑になるだろうと思い、卒業式の30分後の時間を指定して、学校に到着すると、すでに通級の先生が待っていた。
体育館まで一緒に行く道中に校内アナウンスが流れる。
『教員は全て体育館に集まるように。』
(え…嘘…。人が集まったら絶対に次男壇上に上がれないよ…。)
案の定、わらわらと集まってくる先生を見て
「無理。俺無理。絶対無理。」
と言い出す次男。
そうこうしているうちに、体育館に到着した。
次男と私たち一家のために席を設けられ、その両端に全ての先生が座った。
(晒しもの!!!!!!!)
私の内心はこんな状態であった。
サクッと受け取ってサクッと帰る予定だったから、ビデオカメラ持ってき忘れてしまった…。
次男に「あそこに行けそう?」と壇上を指すと、「長男と一緒ならいける」と何か覚悟を決めたようだ…。
その隣で「え?マジで?え?俺?え?ホントに?」となっている長男。
こっちも予想外過ぎてパニックになっていた。
サプライズでスペシャルな卒業式となった
音楽の先生のピアノ伴奏が始まり、副校長の司会でスタートした。
座っている卒業生は次男のみである。
校長が壇上に上がり、担任から名前を呼ばれる。
次男は返事はしないものの立ち上がった。長男は、ついていくの?どうするの?っていう右往左往していたが、次男を追いかけるようについていった。
次男は壇上の前に立ち、校長に言われるがまま卒業証書を受け取った。長男は2mくらい離れたところで見守っていた。
まさか。こんなシーンが見れると思わなかった。
涙が止まらなくてどうしようもなくなっていた。小学校6年間が、走馬灯のように苦しかったこと辛かったこと全部流れていった。
先生たちにお辞儀をして席に戻ってきた。ここで終わりかと思ったら、校歌斉唱がスタートした。
実は私もこの小学校の卒業生で、当たり前だけど長男も卒業生である。
まさか校歌をこんな形で歌うことになるとは思いもよらなくて、感極まってもう嗚咽が漏れるくらいに泣いてしまったのだ。
(こんな時にハンカチを持って行き忘れて涙を拭けないというADHDあるある発揮したのは内緒)
先生たちが作るアーチの花道を通って次男は卒業した。
☆
担任の先生を始め、校長先生や副校長先生に対して怒りすら感じて戦おうと思った日もあったのだが、私の信条のWin-Winを意識してやってきたことは間違いじゃなかったんだと実感した。
そして、次男の担任は長男の担任もしてたのでトータル5年ほどお世話になっている。担任にはぶつかることもあったけど感謝しかない。長男の担任をしてた人もまだ何人も残っていたので長男も嬉しそうだった。
VIP待遇の卒業式をした次男は…
本人に感想を聞いてみたところ「別に」と沢尻エリカばりの返答をされた。
それでも、中学生になることを前向きに捉えている。他の子ができることができないことで自分を責めて傷ついてきた次男だが、他の子ができないことができる自分を肯定しはじめていることはそばにいて肌で感じている。
普通の道を歩まないという選択は、誰も踏み入れたことのない荒れ地を整地して、自分らしく生きやすく工夫したり、何かを作り出したりしていくしかないし、自分で生きていくすべを身につけていかなきゃいけない。
普通に学校に通う子よりも人生はハードモードの荒波だろうけど、この荒波に揉まれていくことによって綺麗な宝石になるんだと私は信じたい。
2020年4月11日