日常のカケラ

場面緘黙とASD不登校次男やおっとりマイペースの長男の記録

子どもとの関わり方を考えさせられたおすすめの本①

 

今年に入って自分の中が変わり始めている。

 

 

 

先日書いたこの記事でも紹介した本も含めて数冊あるので子どもや家族との関わりを見直すきっかけになったので、みなさんに紹介したい。

 

nutsco.hateblo.jp

 

 

 

メンタライゼーションでガイドする外傷的育ちの克服

 

 

去年Twitterでおすすめしてもらったのがこの本との出会い。

 

タイトルにあるように「外傷的育ち」がメインテーマではある。

 

「外傷的育ち」とは

 

子どものころのに虐待(身体的虐待、心理的虐待、性的虐待、ネグレクト)を受けた体験、それに加え過度な支配や制限、自主性の剥奪や従属の強制、外傷になるような別離と死別など、心や脳にダメージを与えるような養育体験とその影響を「外傷的育ち」と呼びたいと思います。

<引用>メンタライゼーションでガイドする外傷的育ちの克服 P.4

 

こう書かれると自分には関係ないと思いがちだけど、メンタライゼーションは心を見渡す力なので、自分の今の気持ちがわからないと悩んでる人にはドンピシャに刺さると思うのよね。

 

実際に、私自身も自分ではわからない感情がたくさんあって、この本をきっかけにたくさん感情が発掘されたので、ぜひ試してみて欲しい。

 

 

そして、副題の<心を見渡す心>と<自他境界の感覚>をはぐくむアプローチもかなり大事なテーマになっていて、<自他境界の感覚>がないことによって起きてる問題がほとんどではないか、とすら感じた。

 

 

湧き上がる気持ちが、

自分の気持ちなのか。

他人に作られた偽の自分の気持ちなのか。

 

それ自体がわからなくなっていること人が、とても多いように思う。そして、私ももれなく本当の自分の気持ちなのかわからないことがある。

 

 

誰かに刷り込まれた自分ではないヨソモノ自己が心の中に勝手に鎮座している状態なのである。

 

 

ヨソモノ自己がいる限りは、自分の本当の心が見渡せない。

 

 

この状態が、自他境界の感覚がない状態なんだろう。

 

 

その自他境界の感覚をつかむためには、「私の気持ち」をしっかり認識できることが大事というわけ、自分の気持ちがわからなければ、人の気持ちも把握できないからね。

 

 

そこでメンタライゼーションが必要になってくる。

 

 

メンタライゼーションにはミラーリングが必要なんだけど、ミラーリングは鏡で映したように自分の心の中を言語化してもらう作業で、限りなく正解に近いけど、ぴったりではないくらいがちょうどいいミラーリングらしい。

100%一致していると自分の気持ちなのか相手の気持ちかわからなくなるらしい。

 

 

ミラーリングを続けていく中で

 

 

これが本当の自分の気持ちなんだ。

 

 

と、認識していくことが、自分の心が見渡せるようになり、自分と人との違いが分かるようになる。

 

 

 

 

ここで、ふと私は幼い頃うまくミラーリングしてもらえなかったなぁと思い出した。

 

母は一般的な女性なので、一般的な感覚をちゃんとミラーリングしていてくれてはいたが、私自身が一般的でなかったので「え?違うけど?」ということが多かったのである。

 

そのまま自分を見渡せないまま、漠然と「不快」だけが増幅して大人になった。

 

 

その経験から、子供たちの気持ちも私はうまくミラーリングできなかったのでは?と思っている。

 

 

 

それは、親との相性なので正直しょうがない。

 

 

 

そうすると、自分の心があんまり分らない次男はメンタライゼーションができるようになるのが大事なのではないか?と思ったのである。

 

 

 

読んでる間、最近目にするアダルトチルドレン、HSP、カサンドラ、不登校の単語をネットで見るが、自他境界の感覚が薄い人が多いなぁとふと、思った。

 

 

そして、親子、夫婦の問題もすべては自他境界につながっているのでは?と思い始めた。