日常のカケラ

場面緘黙とASD不登校次男やおっとりマイペースの長男の記録

学歴コンプレックスと対峙した結果※修正版

ここは主に子どものことをメインに記録しているブログなのだが、今回は私の記録として残しておく。

 

 私自身ADHDと診断されている。親にも周りにも「まさか」と言われたくらいには世の中にうまく擬態して生きているようだ。それは、必死に「面倒くさい」と思うことをやっているからである。

 基本、食べる、寝る、食うも含めて生きること全般「面倒くさい」と感じている。その中でも、高次元になる学校に行く働くも「面倒くさい」に分類される。働くについてはお金という対価があるので、楽しいに変化する。学校については、得られる対価が知識や技術のみである。知識も技術も、わざわざ学校に通わなくても得られるルートがたくさん存在している。学校に通わないで得るルートを選択すればいいだけなのだが、まだまだこの世の中、学歴が重要視され中卒や高校中退は就職のハードルが高いのは確かである。

 と、言われているが実はそれを大きく感じたことがない。私自身、高校中退だが、大検(現:高認)を取得している。今、そんな私でも一緒に働いて欲しいという場所を見つけて働いている。働くことに対する自信はそれなりにあるのだが、高校中退だけではなく、専門学校も中退しているので内心学歴にコンプレックスを抱えていた。

 

 学歴コンプレックスを解消しようと動き出したキッカケは、仕事関連で短期講座を受ければ取れる資格なのに、わざわざ学歴を大卒にしたくて大学に入学したことがはじまりである。「最後までやりきれない」という最大の課題に向き合うために飛び込んだのは2016年である。得た知識をリアルタイムで仕事で使えることを知り、学ぶということにのめり込んでいった。

 

 しかし、私はADHDである。マルチタスクがとても苦手なので、仕事+勉強+子育て+家事だと、優先順位的に勉強は最後になりがちだった。更に30を過ぎると体にガタがき始めて、入院手術から始まり、適応障害で休職、子どもの不登校対応に追われ、スローペースでやり続けてきたけどもう7年もたってしまったのである。

 その間に、勉強していた仕事からも離れ、学ぶことへのモチベーションが著しく下がってしまったのが大きく、全く手がつかない状況になっていた。休学して環境を整えてから再開しようと試みたが、2回失敗している。生きるということは、常に変化が起こる。1年前に予想していたどおりに1年後なっていた試しがほぼない。

 

 学歴コンプレックスを解消しようと大学に入学していたが、勉強のモチベーションた保てず、何のために勉強しているのかもわからなくなり、すでに謎の袋小路に入り込み身動きが取れなくなっていったのである。かけてきた費用と、忙しい最中で頑張ってとってきた単位を考えると諦めるということに踏ん切りがつかないでいた。

 

 自分自身の人生を振り返ると、自分の「続けられない」を念頭に置いて行動したことはほぼ功を奏していることを思い出す。

 例えば、運転免許取得である。教習所に通ったら確実に行かなくなると踏んで運転免許は合宿免許で取得した。二輪の中型免許は教習所に通ったが、途中でだるくなっていかないまま期限が過ぎてしまったので、合宿免許で取得した。そして、免許更新を忘れて免許を失った私は、試験場に通い一発試験で取得しなおした

 

 まぁまぁ、やらかし人生である。

 

 でも、自分にあった方法で行けばすんなり行けるものもあることは確かである。そういうわけで、大学を退学することに決めた訳だ。

 高校中退、専門学校中退、大学中退という経歴になるが、まぁヨシとしよう。私には血と汗と涙と初めての努力で培った職歴という輝かしいモノがあるので、これ一本で世の中を渡っていこうと思う

 

 そして、取りたかった資格については最短の道で進むことにする。短期講座を受ける。短期と言っても1年ではあるが、職場が在籍証明してくれれば問題はないし、上司も「オッケー」と言ってくれてるので問題はない。

 

 私自身の特性上、「飽き」が来る前に、終わらせるという方法をとっていかないと「飽き」に襲われ中途半端に終わってしまうということを40過ぎにして身をもって体験した。そして、自分のコンプレックスに囚われすぎて袋小路に入って身動き取れなくなっていたことも確かである。視野を広く持ち、様々な視点から多種多様な方法を探索することも、今の現状から這い出るヒントになると実感した話

 

2013.6.9元屋みや改めナッツ子