日常のカケラ

場面緘黙とASD不登校次男やおっとりマイペースの長男の記録

ASDで不登校の次男が中学校に進学する

この記事は2020年3月頃にnoteで書いた記事です。

 

不登校の子の進学準備事情 

 今日はASDと診断され、場面緘黙症を持つ次男の話。

 そんな次男が小6の2学期から完全不登校となり、あと数日で中学生となる。

 私が次男の進学のために準備したものは、自転車だけである。鞄も靴も上履きも体操着も買ってないし、制服すらも用意していない。用意することに意味があるのだろうかと思ってしまうのだ。

 私が休職し退職。夫も休職からの異動。収入が減ってしまっている状況で行くかもわからない学校の物にお金をかける意味が見いだせないのである。その分、制服代を息子のカウンセリングや療育などに使いたいと思ってしまうのだ。

 中学校は義務教育だからと「登校するのが当たり前」「連れてくるのが親の務め」という圧力をかけてきて、私自身も「学校には行くもんだ」という固定概念を持っているから、中学校に行く準備をしなくては!という焦りにかられることが度々湧いてくる。

 でも、よく考えてみて欲しい。

 「学校」は80年の人生の中で、経った数年なのである

 その数年に命を削って通う意味を私は感じない。

学校の見切りをつけたとき

 次男は、学校に通うという行為に自尊心を削られて生きている意味さえ失い、家を飛び出して死のうとしたのである。

 そこまでして学校って行くものなのだろうか?

 私は親としての力不足、子どものわがままに負けるなと責められてきた結果、自分自身の思いや子どもの気持ちなど置き去りにして、学校の求める親と子になろうと必死に頑張ってしまったのだ。

 私の心もすり減っていき、私がだめな親だからどこかの施設に預けようかと悩み、死にたいという息子と一緒に死のうかと考えるほどにまで追い詰められたのである。

 休職しても息子を無理やり登校させる儀式は継続していた。

 しかし、そこでふと思ったのだ。

「学校」は、私たちの人生の中で過ぎ去っていくものである。私たちの人生について責任を持ってくれるわけではない。

 学校のスタンスは、最初から最後まで無責任の極みだということに気づいたのだ。無理やり学校に通うように指導しているが、卒業したら「ハイさよなら」なのである。

長いスパーンで次男の支援ができる方向を模索していく

 学校と真面目に話すのがあほくさくなったのだ。こっちは人生かけて真面目に話しているのに、彼らは誰一人として私や次男に本気で対面していないことに気づいたのだ。学校のシステムの問題や担任の負担などを考えるとあんまり無茶が言えないのは私自身も理解しているが、あんまりにも無責任だろうと感じてしまった。

 中学校に登校させる時間や労力やお金を使うくらいなら、次男のプラスになることに時間もお金も労力を使いたい。中学校がプラスになる支援ができます!と言うなら考えるが、できないのなら行く意味すら考えられない。

 そんな気持ちを持ちながらも、家族以外の人と接する機会を持つことは次男にとって大事なことなので、中学校との面談や見学等は行っていっている。そして、4月からは通級に1時間登校する話になっている。ちなみに制服は買っていないので長男のジャージで登校予定である。